正伝寺のあゆみ
縁起
昔、龍岩という人があり、石川の森山(現在の大鰐町森山)で白いキツネを見かけました。その口には木片を咥えておりましたが、龍岩を見ると木片を落としていずこへか去ってゆきました。それを拾った龍岩はびっくり仰天、なんと薬師如来の御姿をしているではありませんか。
このため龍岩は、この地に庵を結び、像を供養しておりましたが、日増しに信者も増え、ついには文禄4年(1595年)、耕春院宗徳寺の中巌撮堂和尚を勧請開山として「薬王院松傳寺」を開いたのが、当正伝寺の起こりであると伝わります。龍岩自らは、二世龍岩林朔として、正伝寺の礎を築きました。
禅林街へ移設
江戸時代に津軽藩が確立し、二代藩主津軽信牧の治世に、弘前城の西南、すなわち裏鬼門の鎮護として、茂森の地に津軽一円の主な禅寺が集められることになりました。正伝寺もその一つとして、四代藩主信政のころ、延宝8年(1680年)、森山から茂森に移りました。
これらの寺は、現在も禅林三十三ヶ寺(禅林街)として、市民の生活に深く根付くとともに、多くの観光客を集めています。
齋藤家とのかかわり
岩館(現在の平川市岩館)の齋藤甚助家は、寛保年間(1741~43年)から明治初年にかけて繁栄した全国有数の長者で、付近の大地主でありつつ津軽藩の藩米を大坂(現在の大阪府)で売りさばく権利を委ねられていた津軽きっての商家でもありました。正伝寺は、この齋藤家の菩提寺でした。
この当時、盆や暮れには斎藤家から一駄二俵ずつ二十三頭もの馬を連ねて米が届けられ、また、延喜4年(1747年)には齋藤家の寄進によって寺の再建がなされました。他にも、本尊の脇侍二体、津軽藩祖為信公の臣であった小笠原伊勢の自画賛など、今につたわる寺宝も、齋藤家の献納によるものです。
ねぷた寺
三十七世祖道達温和尚は、「ねぷたの和尚」として広く弘前市民に知られたねぷた絵師でした。現代ねぷた絵の祖といわれる竹森節堂画伯に師事し、のちに筆を叩きつけるかのような豪快で迫力のある画風を確立しました。戦前に代用教員を経験したからか、多くの若手絵師を育て上げたことでも有名です。
三十八世帀天壽一和尚がねぷた絵師としても跡を継ぎ、正伝寺は「ねぷた寺」としてますます親しまれるようになりました。二人の足跡や作品は、「ギャラリー森山」はじめ市内の各所で辿ることができます。
概要
名称 | 薬王山 正伝寺 |
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宗派 | 曹洞宗 |
開基 | 文禄4年(1595年) |
所在地 | 青森県弘前市西茂森1丁目9-1 |
電話 | 0172-32-1784 |
FAX | 0172-35-6376 |
メールアドレス | info@shodenji.jp |
ウェブサイト | shodenji.jp |
アクセス
- JR弘前駅より弘南バス 川原平/田代/大秋/相馬線 約15分「茂森町」下車 徒歩10分
- 100円バスためのぶ号 津軽藩ねぷた村経由 りんご公園線「茂森町」下車 徒歩10分
- タクシーで弘前駅から約15分